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XF5F (航空機) : ウィキペディア日本語版
XF5F (航空機)[えっくすえふ5えふ]

XF5F スカイロケットグラマン社が世界最初の双発単座艦上戦闘機として試作した機体である。1940年試作1号機が完成するとは華々しく公表し一躍世界の航空界に注目されたが、改修に時間が掛かったため実戦化を逃し、1機のみの製作で終わった。
== 概要 ==
1938年2月にアメリカ海軍は高速艦上戦闘機の仕様をSD112-14案として各社に提示した。グラマン社は温めていた双発艦上戦闘機(社内名称G-25)を再設計することでこれに応え、G-25を発展させた双発戦闘機、XF5F(社内名称G-34)の設計が開始された。
G-34は胴体の長さを極力縮め主翼の前に胴体部分がないという、前例の無い形状をとっていた。これは、着艦時の視界を確保すると同時に、2基のエンジンプロペラ中心間隔を小さくして機体を引っ張る(同時に重量物を中央へ集め、機体のモーメントを抑えてロール率を高める)という設計思想であった。特徴的な双尾翼も発着艦での機体安定性を高めるための措置である。空母甲板上での運用のため機体の寸法は単発機並に抑えられ、折り畳み式の主翼によって収容面積を抑えるのにも貢献している。主脚は引き込み式だが、尾輪は固定式であった。キャノピーは涙滴型である。
計画では機首にマドセン23 mm機関砲×2 + ブローニング12.7 mm機銃×2を装備し、最大速度700 km/hの予定であったが、武装については欧州での戦乱の影響でマドセン砲の入手が困難となったので、途中で12.7 mm機銃×4に変更されている。主翼下面には左右5箇所ずつ、対爆撃機用の2.4 kg空対空小型爆弾を収納可能な爆弾倉があり、1箇所に付き2発。計20発を搭載可能である。パワープラントは当初予定していた二段過給器付きのP&W R-1535-96空冷二重星形エンジンが間に合わず、やむを得ず直径の大きなライトXR-1820-40/-42試作星型エンジンを装備したが、これは互いのプロペラが外側へ逆回転してトルクを打ち消す設計であった。プロペラはカーチス・エレクトリック社製の3翅羽根を用いている。
試作1号機は1940年3月に完成し、4月1日に進空。グラマン社内でテストを行ったが、分間上昇力が4,000 ft(1,220 m)と群を抜いた性能を示して「スカイロケット」と名づけられた。1941年には海軍に引き渡されテストを開始したが、エンジンカウルと胴体の空気抵抗が予想と大きく乖離したため最大速度は600 kmを下回り(ただし、海面上では616 km/hを記録していた)、後部胴体の剛性不足等、新機軸につきものの難点が数多く指摘された。グラマン社では、胴体の補強、機首の延長、キャノピー形状の改修、プロペラスピナーの追加などの改修を行ったが、機体重量が増加したため速度性能が低下した他、大きなエンジンカウルによる視界不良は艦上機としては致命的であった。
1942年にはライバル機であるチャンス・ヴォート社のXF4Uが高性能を示していたため、海軍では上昇力は優れるもののXF5F自体に対する興味は薄れ、またグラマン社でも新型双発艦上戦闘機(XF7F、社内名称G-51)の開発にとりかかることになったため、1942年9月にXF5Fの開発は中止となった。1機のみ生産された試作機はその後もテストが継続されたが、1944年12月11日に胴体着陸して機体は大破。同日付で廃棄処分となった。しかし、本機で得られたデータはF7F開発上重要な役割を果たした。
なお、グラマン社では陸軍向けに着艦フック他の艦載用装備を外し、排気タービン過給器付きのライトR-1820-67/-69を装備、機首を流線型にし、前脚式降着装置を備えた機体(社内名称G-46)をXP-50として試作したが、1941年5月14日の初飛行で排気タービン過給器が爆発して墜落事故を起こしたため開発中止となった。なお、こちらの武装は20 mm機関砲×2、12.7 mm機銃×2とXF5Fよりも強化されていた。爆弾倉は廃止されているが、その分だけ防弾板やセルフシーリングタンク等の防弾装備が充実されている。
XF5Fは1機の試作で終わった機体であったが、特徴的な機体形状を利用して海軍の宣伝等に利用された。そのため知名度は当時かなり高い機体であり、現在残っている写真類も1機のみの試作機にしては多い。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「XF5F (航空機)」の詳細全文を読む



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